前回のブログに掲載した最高裁判決に関して,先般日本弁護士連合会は以下のようなコメントを発表しました。http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2013/130416_2.html
前回のブログでコメントしたとおり,事件の方針を決めるのは依頼者であり,弁護士は依頼者に対して事件の進行状況や見通しについて,説明義務・報告義務を負担しております。
ただ今回の事件には,もう一つ特殊な点があります。それは奄美大島という当時弁護士がほとんど居なかった地域でなされたという点です。
私や大窪弁護士の自己紹介欄にもありますが,私は名寄,大窪弁護士は紋別の公設事務所での勤務経験があります。私たちが赴任した当時,名寄や紋別はサラ金やヤミ金融などが横行する地域で,それらの地域の人たちは,私たちが来る前は,名寄から南に80キロの旭川まで行かなければ弁護士に相談することが出来ないと言う状態でした。
そのような中で私や大窪弁護士は赴任して3年間公設事務所弁護士として仕事をしました。
先ほど申し上げたように,当時名寄や紋別は,サラ金やヤミ金融が横行している地域で,その被害者が多数おりましたから,事務所設立と同時に多数の依頼者の方が来所しました。その大多数は,これまで弁護士に依頼したことのない人,法律の仕組みという者に馴染んでいない人,サラ金などの消費者被害に遭っている人,でいわゆる社会的には強い立場にない人で,人が良くて控えめ,自分の権利主張を強く言わず,いかにも消費者被害に遭いそうな方ばかりでした。
また地域に「弁護士」という存在がなかったからでしょうか。「弁護士」というと「先生」「先生」といってかしこまってしまうような人が多かったと思います。そんな遠慮をしないで,ともどかしく感じたことも多数ありました。
ただ弁護士である我々がその気になったらこれを悪用することは可能です。何故かというと,消費者金融やヤミ金融の言うことを安直に聞いてしまうような人たちに対して,弁護士が「法律はこうなって居るんだから言うことを聞け!」と言えばいくらでも言うことを聞かせることが出来るでしょう。こういう仕事ですから口先も達者ですし,他に弁護士が居ない以上,依頼者側は他の弁護士と比較も出来ないし,又他に頼める人間も居ないからです。
今回の事件。第1審判決には,高橋弁護士がある会議の中、多数人の前で「自分の方針に従わせるのに一番有効な方法は、奄美で弁護士が神様のように尊敬されている点を利用して、自分から見放されたら大変なことになってしまうということを思わせることだ」と発言していたと書かれていました。
平成17年当時奄美大島の人が弁護士を頼もうとすると,この「神様のように尊敬されている点を利用」する弁護士に頼むか,そうでなければ遠く飛行機に乗って鹿児島の弁護士を頼まざるを得ませんでした(当時島内に弁護士はもう一人いらっしゃいましたが、消費者事件については多く受任はされていなかったと聞いています。)。
それらの事情があるため,最初の頃,奄美大島の人は不満を持ちつつも頼まざるを得なかったのでしょうが,大窪弁護士がその後任として赴任することで,徐々にそれらの不満が顕在化し,冒頭HPのような苦情が日弁連に多数寄せられるようになったと聞いております。
地方で仕事をする弁護士の方には,是非これを他山の石としていただき,数少ない弁護士として地元に対して責任を負う立場にあると言うことを自覚していただければと思います。
当事務所の大窪弁護士が,先代の奄美ひまわり基金法律事務所所長である高橋広篤弁護士を提訴した事件において,先般最高裁で逆転勝訴判決を得ました。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20130416113943.pdf
この事件,ごくかいつまんで言いますと,債務整理事件を受任した高橋弁護士が,業者からいわゆる過払金を回収し,他の債権者に弁済できる資金があったにもかかわらず,依頼者に何らの説明もせず,適切ではない和解案を提示し,合意に至らなかったため,その後「消滅時効を待ちたいと思います」と一方的に通告して放置した,というものです。
消費者金融業者が有する貸金債権の消滅時効が5年であることから,その5年間訴訟等を起こさなければ,債権は時効消滅します。高橋弁護士の手法は,業者が提訴等をしないだろうと決めつけ,「訴訟等をして貰っても構わない」と開き直り,支払いを拒絶するという方法です。もちろんこれが成功して消滅時効が成立すれば依頼者には損はありません。ただこの方法で支払いを拒絶している間,高額な遅延損害金が課されますので,その意味において極めてリスクの多い方法といえるでしょう。
ただここで述べたいことはこの方法の当否ではありません。
問題はこの方法を採るか採らないか,ということを誰が決めるべきか,ということです。
この事件でもそうなのですが,弁護士は,依頼者から弁護士費用を受け取って依頼者の代理人として相手方と交渉をし,訴訟等を行います。代理人となった弁護士は,よほどの事情がなければ,直接相手方に対し責任を負うと言うことはありません。
これに対し依頼者は,弁護士に事件を委任しているとはいえ,その代理人がしたことは,自分に直接効果が帰属します。例えばこの事例であれば,4年11ヶ月後に訴訟を起こされた場合,その期間に相当する遅延損害金を負担するのは弁護士ではなく,依頼者なのです。その依頼者が強制執行を受けたとき「そんなことは弁護士から聞いていない」と言っても全く通じません(現にこの案件では最終的に遅延損害金等を含めた支払いをせざる得なくなりました。)。
もしこの方法を採る上で高橋弁護士がせめて「現在の過払金は○○円,支払わないといけない債務は○○円,弁護士報酬は○○円。時効待ちのリスクは・・」という説明をしていたらどうでしょうか。
そうであれば,依頼者も弁護士に対し「こうしよう」という意見を言うことが出来たでしょうし,もしそれでもあえて時効待ちをしたいなら,依頼者の人生ですので,仕方ないでしょう(まぁ私は適切ではないと思いますが)。
再度繰り返しになりますが,我々弁護士は,他人の事件を扱い,その事件による不利益は我々ではなく依頼者が負担することになります。そのため弁護士職務基本規程36条は,依頼者に対する報告・説明義務を定めているのです。
私としては,この事件を機に,事件によって利益・不利益を受けるのは依頼者であり,弁護士ではないと言うことを自覚していただき,説明義務や報告義務を適切に履行していただきたいと思います。
また本判決の最後には裁判長からのメッセージとして「弁護士の依頼者に対する報告義務及び説明義務については,自治団体である弁護士会が基本規程36条の解釈適用を通じてその内容を明確にしていくことが期待される」とありますが,今後弁護士会においても,依頼者に対する説明義務・報告義務をよりしっかりと指導していただきたいと思います。
先日ちょっと見ていて残念な記事がありましたので,この機会にブログで投稿させていただきます。
「一票の格差けしからん」聞いたことない!自民から異論続々(東京新聞 4月12日付)。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013041202000132.html
正直弁護士のような法律実務家は,憲法とは意外と縁が少なく,実務上使うことはほとんどありません。何故かというと,大半の事件はその下にある法律,例えば民法や商法や刑法,その他諸々の個別の法律で処理できるためです。
また正直自分も日々離婚事件や多重債務問題などを扱っている実務か弁護士ですので,政治や憲法に関心は正直薄いです。
ただ上記の記事を見て,「国会って本当に大丈夫?」と思ったので,投稿することにしました。
この見解には憲法の初歩中の初歩といえるほど,馬鹿馬鹿しい見当違いがあります。
まず第1の見当違いは憲法47条の法律委任事項,と言う点です。確かに47条は,「選挙区・・・選挙に関する事項は法律でこれを定める」と規定しています。
ただこの規定で委任したのは憲法ですので,当然憲法に違反することは出来ません。投票の平等は,憲法14条に定める法の下の平等の一環として保障されるものですので(最高裁昭和51年4月14日判決),これに反する法律を決めることは出来ません。
従って法律委任事項であることを理由に,裁判所がこれを正すのはおかしい,というのは明確な誤りです。
第2の見当違いは,「憲法裁判所」なるものです。
おそらくここで出てくる「憲法裁判所」とは最高裁判所の系列に属さない憲法専門の裁判所,のことを言うのでしょうが,これは特別裁判所の設置を禁止した憲法76条2項に違反する疑いが強いとされています。
なお講学上「憲法裁判所」とは事件の有無にかかわらず,憲法についての判断を行う裁判所といわれています。
そして最大の見当違いは,「投票価値の平等など聞いたことがない」という見解です。
これを推し進めるなら,「国民の多数意思があれば憲法に反することも出来る」ということになります。
例えばナチスドイツがユダヤ人を迫害したことはよく知られていますが,ナチスドイツはその選挙において圧倒的支持を得て国民の信任を受けたと称し,これらの活動を実行しております。このように多数派の名の下少数派の人権が侵害されたという過去の歴史があるため,少数派の人権を守るべく憲法が定められ,その憲法の番人として裁判所が違憲審査権(81条)を有するとされたのです。
(なお裁判所の違憲審査権の行使に当たっては可能な限り憲法判断を回避するという原則があり,その意味で十分に遠慮深いのです)。
この点この議員さんは,「投票価値の平等など聞いたことがない」と言っておりますが,おそらく自分の選挙区以外聞いて回ることはないでしょうし,全ての人から聞くわけでもありません。例え内閣総理大臣であっても,全国民から事情を聞くなどと言うことは出来るはずがありません。
だとしたらたった一人であっても,平等原則に違反し,それを裁判所に訴え出て違憲判決が出たら,それを謙虚に聞くのが国会の役目であり,議員の役目ではないかと思います。
それを単に自分の選挙区の人から聞いていない,と言うだけで,「裁判所けしからん」という言い方は常識的にいかがかと思いますし,危険な臭いを感じざるをえません。
なお一般に選挙区の平等については様々な議論がありますし,また私も一地方人として地方の意見をもう少し中央で聞いて欲しいという気持ちが強いので,地方優先に選挙区を配分して欲しいという気持ちもないではありません。少数者の人権保障,という見地からすれば,過疎化が進む北海道などは十分に少数者としての立場を持つからです。
ただこれは選挙区の配分という形で地方の人を代表する人を多く選任して貰う,と言う形で行うのではなく,中央が地方の声にもう少し耳を傾けられるような方法を別の方法で考えて貰うべきではないかと思います。
久々のブログ更新です。
最近離婚事件の手持ち事件が徐々に増えてきました。先ほど数えてみたところ,離婚及びその関連事件(協議・調停・裁判離婚,養育費,認知,子の引渡,親権者変更,不貞相手への慰謝料請求等々)で合計15件。
変動はあるものの,常時この程度は手持ち事件としてあるようです。北海道は実に離婚が多い・・。
ところで離婚する際,子供の親権が問題となることが多々あります。通常幼い子供の場合は母親とされることが多いのですが,その場合別れた父親としては子供に会わないと,子供との縁が徐々に薄れていってしまいます。もちろんその父親に子供に対する情がない場合や,何らかの理由で子供に会えない場合は別ですが,普通子供に会いたいと思うのは親としての情でしょう。
その親が子供に会いたい,と言う権利を面接交渉権といい,離婚する際にある程度の取り決めがされるのが通常です。また離婚の際取り決めをしなかったとしても,家庭裁判所に面接交渉の調停を申し立てて,相手方と調停が成立させることで取り決めることが出来ます。
ところで裁判なり,調停なりで面接交渉の条項を決めたからと言って,「裁判所の書類があるんだから強制執行だ!」とはいきません。例えば裁判所に強制執行の申立をしたとしても,裁判所の人が直接相手方の元に出むいて,裁判所に連れてきて面接交渉をさせる(直接強制),などと言うことは絶対に出来ません。何故ならそんなことをして無理矢理子供を会わせても,子供のためにならないばかりか,場合によっては子供にトラウマを植え付けかねないからです。
ただ直接的な強制は出来なくても,間接強制,具体的には面接交渉の取り決めに違反した場合1回当たりいくら,と言う制裁金を科す手続を行うことは可能です。
この点について平成25年3月28日,最高裁は,面会の日時・頻度・時間・子の引渡の場所などを具体的に定めていれば,間接強制の申立は可能,との決定を行っています。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20130401161551.pdf
ただ逆に言えば面会の日時,場所等を具体的に決めていなければ間接強制の申立は出来ない,と言うことになりますので,注意が必要です(現に同日付の決定で棄却された案件があります)。
正直子供の立場を考えると,面接交渉において余り具体的な場所や日時を決めて,子供を拘束するのは若干疑問がないではありません(例えば時間を設定しておいたら,子供が急に友達と旅行に行くことになった場合,それをキャンセルさせて面接交渉させたら,子供が相当に傷つくと思います)。
ただ親が幼い子供を抱え込んで別れた相手に会わせない,という場面も多々あります。そのような場合に必要があると思い,今回紹介させていただきました。
子供にとって両親はかけがえのないものです。これは離婚したとしても同じで,離婚して両親がそれぞれ感情的になっていたとしても,子供にとって親は親なのですから,子供を巡って争うのは本当は好ましくありません。
このような条項を使うようなトラブルがないことが一番いいことだとは思います。
今日は憲法記念日。今年の憲法記念日は今までにないほど憲法が議論されているのようです。
憲法改正を最も話題にしている自民党の改正案。
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
確かに現在の日本国憲法は制定されて既に60年以上が経過しており、現在の時代に沿っていない部分があることは否定できません。
例えば「プライバシー権」などはもはや世間一般に定着した言葉ですが、これは日本国憲法に規程がありません。
これは憲法13条に規定のある「幸福追求権」の一環として保障される、と学説上ほぼ確立していますが、明文として定められていません。
その他名誉権、知的財産権、環境権、個人情報保護など憲法上明記するべき人権は多々あります。
従って改正の必要があること自体は否定しません。
ただ憲法を改正すると言うことは言うほど簡単なことではありません。
現在話題となっている96条の問題は後日取り上げますが、それを除いても多々問題があります。
というのは憲法は諸法令の上に立つ最高法規であるためです。
例えば自民党案の24条には「家族は助けあわなければならない」とあり、これは現在の憲法にはない規程です。
ただこれは民法に定めのある扶養義務と関わりますので、ここの「家族」とある文言の解釈次第では民法と抵触します。
憲法98条で憲法は最高法規とされておりますので、もし24条が改正されれば民法を改正することまで検討しなければなりません。
おそらくこれと同様のことは多数発生し、それに沿った様々な法令の改正を検討しなければならないはずです。
しかし今の日本はそんなことをしている場合なのでしょうか。
震災の被害は未だ十分に回復しておらず、特に原発については放置に近い状態で、避難した人たちが自宅に戻る見通しは全く立っていません。
また一部で景気回復と言う話も出ていますが、それはごく一部のところに過ぎず、地方での景気はいっこうに回復する見込みはありません。
年金制度は崩壊し、生活保護などの社会保障も十分に機能しているとはいえません。
それらのことを差し置いて憲法改正が議論される理由というのが全く理解できません。
一部には今の憲法はアメリカ占領下でできたものだから、と言う議論もあるようです。
しかし今の憲法制定の際日本政府の意見はかなり取り入れられております。
それに加え60年以上の長きにわたり日本人はこの憲法を尊重して様々な工夫をして現状にあうようにしてきました。
それをもう少し尊重するべきではないでしょうか。
また現在尖閣諸島や竹島の問題などから9条を改正して、と言う議論もあるようです。
ただ9条を改正してどうしようというのでしょうか。
自衛隊(国防軍というそうですね)を拡充して中国や韓国と戦争ができるようにするのでしょうか?
それが外交上の諸問題の解決になるのでしょうか?
またそのようなことを国民の皆さんは望んでいるのでしょうか。
またどうしてもやりたいなら、何故正面から議論せずに96条の改正などと言う迂遠な方法をとり、正面から国民に改正案をぶつけないのでしょうか。
上記の自民党改憲案を見ましたが正直現在の国民の意向に沿っているとは到底いえないと思います。
国民の権利を制限する条項が多くなっていますし、どこか大日本帝国憲法的なにおいを感じます。
最初に述べたとおり憲法を改正する必要があるかないか、ということであれば、既に60年以上が経過したので改正の必要がないとはいえません。
ただ今何をするべきか、国民にとって何が必要か、ということを考えていただきたいものだと思います。